遠野の芸能

遠野の芸能

遠野郷の郷土芸能

しし踊り

青笹しし踊り

岩手県指定無形民俗文化財
 遠野市青笹町青笹

青笹しし踊り

<公開場所>八幡・六神石神社境内・民家の庭
<公開期日>9月14日~15日・9月第3日曜日
 慶長初年(1596)頃、京都の松尾から伝わったしし踊りに、地元農民の豊年踊りや神楽の山神舞が合体したものだという。踊り手は、しし12名、刀振り12名と中太鼓、子踊り(年少の男子)、種ふくべで構成され、囃子(太鼓・笛・歌かけ)は別につく。幕踊系にはザイ(髪)がカンナガラであるものと、白紙を幣に切って垂らしたものと、馬のたてがみを用いたものとがあるが、青笹じしはカンナガラの代表的なもので、踊りの役によって色々飾りをつけている。

綾織しし踊り

 遠野市綾織町新里

綾織しし踊り

<公開場所>八幡神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>不定期(9月14日~15日)
 綾織町中宿の金成という屋号の家の先祖が、宮城県栗原郡金成村のしし踊りを伝えたものだといわれている。しし頭12人、刀づかい8人、仲太鼓10人、子供のふくべふり、種ふくべ等で舞手が構成される。笛太鼓は、別に胴前として加わる。

板沢しし踊り

 遠野市上郷町板沢

板沢しし踊り

<公開場所>八幡・日出神社境内・民家の庭
<公開期日>6月第3日曜日、9月14~15日
 弘化3年(1846)に南部公御屋敷で踊られた、という記録がある。また、明治の初めに菊池田五助が、松崎の駒木鹿子踊りを伝えたものだともいう。五穀豊穣を願い、祈りの儀式の流れの中で、人間と自然が一体となる形を表現したものだと伝えられる。

暮坪しし踊り

 遠野市上郷町佐比内

暮坪しし踊り

<公開場所>八幡・熊野神社境内・民家の庭
<公開期日>不定期(9月14~15日)
 昭和2年(1927)、同じ上郷の佐比内しし踊りの師匠に習い、分派創設。踊りの構成はしし、刀かけ、中太鼓、子踊り(ふくべ)、種ふくべとなっている。囃子方は笛3~4人、太鼓3~4人の太夫で構成されるが、場所等に応じて人数が変わることもある。

遠野市指定無形民俗文化財

駒木鹿子踊り

 遠野市松崎町駒木

駒木鹿子踊り

<公開場所>八幡神社・寺院境内・民家の庭
<公開期日>9月14~15日
 1700年代頃、角助または覚助という人物が従来の遠野郷のしし踊りに、京都または遠江国掛川(現静岡県)の踊りを習ってきて完成させた、と伝えられる。踊り組は世話人(太夫)・囃子方(太鼓と笛)・踊り手からなり、総勢60人以上。踊り手は種ふくべ・子踊(ふくべ振り=子供)・中太鼓・太刀振り・鹿子で構成。遠野地方特有の幕踊りで、太夫の太鼓と笛の拍子に合わせ、種ふくべを先導に子踊り・ししが豪壮に舞う。特に「役踊り」は見せ場とされている。

佐比内しし踊り

 遠野市上郷町佐比内

佐比内しし踊り

<公開場所>八幡神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>9月14~15日
 駒木鹿子踊りから伝授されたといわれている。踊りの構成は種ふくべ1人、ふくべ振り(子踊りともいう)12人、中太鼓5~6人、太刀掛け8人、大夫(太鼓打ち)5人、しし12人となっている。ししには、中立しし、雌しし、後すがりなどがある。

早池峰しし踊り(上柳しし踊り)

岩手県指定無形民俗文化財
 遠野市附馬牛町上附馬牛

早池峰しし踊り(上柳しし踊り)

<公開場所>早池峰・徳昌寺・八幡神社
<公開期日>7月18日・9月14~15日
 同じ附馬牛の張山しし踊りから習ったものだという言い伝えがある。ししは12頭を定数とし、剣九曜紋の白前幕に腰ざしをつけ、紺ももひき・黒足袋・草鞋。頭には角の間に剣九曜の前飾りを立て、カナガラを下げる。これに種ふくべ1人、ふくべ振り16人程度、太刀振り12人、太鼓、笛、世話方で1組とする。ふくべ振りは子供があたり、色模様の着物に腰帯をしめる。踊りの形は「道行」といって1列になって踊る場合と、円陣を描いて踊る場合とがある。

鷹鳥屋獅子踊

 遠野市小友町

鷹鳥屋獅子踊

<公開場所>南部・八幡・岩瀧神社境内
<公開期日>5月3日・9月14~15日
 明治初期、同じ小友の長野しし踊りを鷹鳥屋の人々が習得したのが、始まりだという。構成はしし、刀かけ、中太鼓、子踊り、種ふくべとなっている。囃子方は、笛3~4人と太鼓3~4人の太夫で構成されるが、場所等に応じて人数が変わることもある。

早池峰しし踊り(東禅寺しし踊り)

岩手県指定無形民俗文化財
 遠野市附馬牛町東禅寺

早池峰しし踊り(東禅寺しし踊り)

<公開場所>早池峰・新山・八幡神社境内
<公開期日>7月18日・9月14~15日
 一説では、江戸時代の中頃、常福院(東禅寺大萩)門前の阿部久米蔵という人物が、伊勢参宮の折に遠州(現静岡県)で習い覚え、伝えたものだともいう。ししは12頭を定数としているが8人程度。頭は角の間に剣九曜の前飾りを立て、背にカナガラを下げる。これに種ふくべ1人、ふくべ振り10人程度、太刀振り10人程度、太鼓、笛、世話方で1組とする。ふくべ振りは子供があたり色模様の着物姿。太鼓の拍子と同じステップを踏む「小足」が特徴である。

土淵しし踊り

 遠野市土淵町柏崎

土淵しし踊り

<公開場所>八幡神社・常堅寺境内・民家の庭
<公開期日>9月14~15日・9月23日
 江戸時代末頃から伝承。駒木鹿子踊りの系統を伝えていたが、後に附馬牛町張山から師匠を招いて教わり、現在は張山しし踊りの系統である。構成は種ふくべ1人、ふくべ振り12人~13人、刀振り12人、しし12人、ほかに太鼓、笛、世話方となっている。

早池峰しし踊り(張山しし踊り)

岩手県指定無形民俗文化財
 遠野市附馬牛町上附馬牛

早池峰しし踊り(張山しし踊り)

<公開場所>早池峰・菅原・八幡神社境内
<公開期日>7月18日・9月14~15日
 延宝年間(1673~81)に張山集落の寅という老人が、伊勢参りの記念として習い覚えてきたしし踊りを伝えたものだといわれる。踊りには早池峰神社奉納踊りと、本踊りの2種類がある。ししは12頭を定数とし、頭には角の間に剣九曜の前飾りを立て、カナガラを下げる。これに種ふくべ1人、ふくべ振り(子供)16人程度、太刀振り12人、太鼓、笛、世話方で1組とする。踊りの形は「道行」といって1列になって踊る場合と、円陣を描いて踊る場合とがある。

長野しし踊り

 遠野市小友町

長野しし踊り

<公開場所>八幡・岩瀧神社境内・民家の庭
<公開期日>9月14~15日・8月末日曜日
 奈良時代が起源のしし踊りを、慶長2年(1597)に東山五書が伝えたものだという。構成はしし、刀かけ、中太鼓、子踊り、種ふくべとなっている。囃子方は、笛3~4人と太鼓3~4人の太夫で構成されるが、場所等に応じて人数が変わることもある。

細越獅子踊り

 遠野市上郷町細越

細越獅子踊り

<公開場所>南部・日出・八幡・伊勢両宮社境内
<公開期日>5月2~4日・9月14~15日
 板沢しし踊りの分家、同じ上郷の火尻しし踊りから昭和7年(1932)に師匠を招き、習得した。大きな上下の動きと低い姿勢からの飛び掛かるような「柱がかり」が特徴。「四つ掛かり」が最高の演目で獣としての荒々しさ、勇壮さを演出する踊りである。

山谷獅子踊

 遠野市小友町

山谷獅子踊

<公開場所>遠野八幡・岩瀧神社境内・街路
<公開期日>8月15日・9月14~15日
 明治の初め、長野しし踊りが鷹鳥屋獅子踊を経由して山谷集落に伝わったもの。構成はしし、刀かけ、中太鼓、子踊り、種ふくべとなっている。囃子方は、笛3~4人と太鼓3~4人の太夫で構成されるが、場所等に応じて人数が変わることもある。

遠野市指定無形民俗文化財

行山流湧水鹿踊

 遠野市宮守町達曽部

行山流湧水鹿踊

<公開場所>達曽部八幡神社境内・体育館
<公開期日>9月15日
 江刺市梁川字沢田の久田鹿踊の流れをくむ太鼓踊系鹿踊で、「行山流」を称している。鹿踊がこの地区で始まったのは慶応2年(1866)で、佐々木多郎という人物が友人2人を誘い、家にあった鹿踊道具を用いて踊ったといわれる。踊組は世話人・笛吹き・踊手からなり、踊手は鹿とボウズ(坊子=子役)。鹿は大口袴をはき、締め太鼓を抱いて、腰ザシ2本を後腰にさす。中心となる中立の太鼓のバチさばきで踊りが展開する。他の太鼓踊系とは異なり、笛がつく。

鹿込鹿子踊

 遠野市宮守町下宮守

鹿込鹿子踊

<公開場所>砥森神社境内・民家の庭
<公開期日>9月28~29日
 明治初め、遠野市小友町長野から先生を招いて稽古を始め、習得したものだという。踊組は世話人、囃子方、踊手からなる。囃子方は太鼓、笛、唄手。踊手には種子フクベ、フクベ踊り(フクベ振り、子踊り)、中太鼓、刀使い、シンの役がある。

鱒沢獅子踊り

 遠野市宮守町下鱒沢

鱒沢獅子踊り

<公開場所>鱒沢八幡神社境内・民家の庭
<公開期日>9月15日
 古書の記録から、鱒沢では江戸時代初期から獅子踊りが行われていたことが分かっている。踊組は世話人、囃子方、踊手からなる。囃子方は太鼓、笛、唄手。踊手は種フクベ、フクベ(フクベ振り、子踊り=児童)、小胴(中太鼓=少年)、刀使い、シシ。

神楽

飯豊神楽

 遠野市土淵町飯豊

飯豊神楽

<公開場所>欠ノ上稲荷・倭文・八幡神社境内
<公開期日>7月12日・9月14~15日
 上組町駒形神社神楽、松崎町八幡神楽の系統である。元は地区内の熊野神社の奉納神楽で、江戸時代の頃に伝承されたと思われる。他の神楽に比べてテンポが速く、荒々しい踊りだといわれる。打ち鳴らしに特徴があり、それだけでも30分程度かかる。

遠野市指定無形民俗文化財

大出早池峰神楽

 遠野市附馬牛町上附馬牛

大出早池峰神楽

<公開場所>早池峰神社神楽殿
<公開期日>1月6日・7月17日
 平安時代初期に藤蔵という人物が早池峰山を開山した後、後裔始閣家がこの神楽を伝えたという。伝承によれば発祥は京都で、出羽三山に神楽が伝わったころ早池峰山にも伝わり、大迫の岳神楽も大出神楽も同じ神楽であるから同時に行ったという。神人派と称され、舞の所作は優雅で女性的だといわれる。神楽の中では最も拍子の遅い七拍子舞が伝承されている。一定の式舞を順を追って舞い終わった後でなければ、他の舞曲を舞わないことになっている。

石上神楽

 遠野市綾織町鵢崎

石上神楽

<公開場所>石上神社境内
<公開期日>8月7日・9月23日
 明治初年(1868)頃、鈴木林之亟が附馬牛村大出の大出早池峰神楽を習得し、神楽を舞うようになったのが始まりだという。用いる楽器は太鼓・笛・手平鉦で、そのほか歌かけ・舞手・世話方で編成されている。七拍子で、すこぶるゆっくり舞い振りを行う。

小倉神楽

 遠野市附馬牛町上附馬牛

小倉神楽

<公開場所>早池峰神社神楽殿
<公開期日>7月17日
 大出早池峰神楽の系統で神人派とされ、舞の所作は優雅で女性的だという。楽器は太鼓・笛・手平鉦で、ほかに幕内(歌かけ、または楽屋)・舞手・世話方で編成。一定の式舞を順を追って舞い終わった後でなければ、他の舞曲を舞わないという。

駒木神楽

 遠野市松崎町駒木

駒木神楽

<公開場所>早池峰神社神楽殿
<公開期日>7月17日
 明治の初め、附馬牛村大出から大出早池峰神楽を覚えた人が来て、その人から習得した人によって伝承されたという。その後、平成元年(1989)に復活した。大出早池峰神楽の系統である。早池峰神社には「鶏舞」「岩と開き」を奉納している。

外山神楽

 遠野市小友町

外山神楽

<公開場所>八坂・岩龍・八幡神社・民家の座敷
<公開期日>6月15日・9月14~15日
 文政年間(1818~30)頃、外山集落では菊池為友氏の家が庭元で神楽が行われていたという。その後、明治の初めに集落の有志たちが集まり、田瀬(現東和町)から白土神楽の師匠を招いて教えられ、再興したという。五拍子の囃子を伝承している。

鷹鳥屋神楽

 遠野市小友町

鷹鳥屋神楽

<公開場所>遠野郷八幡神社境内
<公開期日>9月14~15日
 大迫の早池峰大償神楽の流れをくむ東和町向田瀬集落の神楽が、同じ小友町の長野神楽を経て、大正12年(1923)に鷹鳥屋集落に伝わったという。その後、松田愛蔵による再興などを経て、現在に至っている。三拍子の囃子を伝承している。

遠野太神楽

 遠野市大工町

遠野太神楽

<公開場所>南部・八幡神社境内
<公開期日>5月4日・9月14~15日
 幕末頃、「おかめ倉松」という踊りの名人が伝えたのが始まりだとされる。囃子方は笛と、大太鼓・小太鼓の2組を1人でたたく太鼓からなる。本来はこれに手平鉦がつく。笛はなるべく大勢のほうがよいといい、太神楽の囃子の特色にもなっている。

似田貝神楽

 遠野市土淵町土淵

似田貝神楽

<公開場所>倭文・八幡神社境内
<公開期日>8月28日・9月14~15日
 明治33年(1900)頃、同じ土淵の飯豊神楽から伝わったとされる。また、似田貝地区の神明宮の神紋を神楽紋としていることから、ここの修験者(文殊院)が伝えたものだともいわれる。昭和初期に似田貝福松が再興し、その後、平成になって復活した。

野崎神楽

 遠野市土淵町栃内

野崎神楽

<公開場所>遠野郷八幡神社境内・街路
<公開期日>8月28日・9月14~15日
 八幡神社に奉納されていた山伏達の神楽舞が明治時代中頃に習得され、成立したものだといわれる。また、附馬牛町和野神楽の系統だといわれるところから、和野の山伏長学坊の神楽を習得したものと考えられる。山伏正福院が伝えたという伝承もある。

八幡神楽

 遠野市松崎町白岩

八幡神楽

<公開場所>遠野郷八幡神社神楽殿
<公開期日>9月14日
 明治維新前までは遠野一郷の山伏が集まって演じたもので、明治になって上組町の御蒼前の別当鈴木真人(竜法院)らが一座を結成したという。「岩戸開き」を最初に行うのが特徴。また、門付けの時に遠野で唯一、法螺貝を使用し、法螺貝神楽とも呼ばれた。

平倉神楽

 遠野市上郷町平倉

平倉神楽

<公開場所>八幡神社境内
<公開期日>9月14~15日
 明治34年(1901)頃、宮守の塚沢神楽から伝えられたもの。大迫の早池峰岳神楽の流れをくみ、テンポが五拍子なのが特徴とされる。ほとんどの舞が、前半にゆっくりとした舞があり、途中から速いテンポの舞になるという、2段構成になっている。

山口太神楽

 遠野市綾織町上綾織

山口太神楽

<公開場所>続石山神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>不定期(2月12日)
 明治27年(1894)頃、達曽部村宿(宮守村達曽部)から伝習したもの。獅子は、勇壮な雄獅子だという。道中を練り歩く時には先頭にオカメが立ち、舞子、獅子と続く。拍子は三拍子および七拍子で非常に賑やか。太鼓、笛、三味線、手平鉦を用いる。

六角牛神楽

 遠野市青笹町糠前

六角牛神楽

<公開場所>八幡・六角牛・六神石神社境内
<公開期日>9月14~15日・9月22~23日
 飯豊村に生まれた甚太(1841年生まれ)という人物が婿養子に来て、踊り始めたものだという。踊り・太鼓・笛の原型は飯豊神楽だが、ある時期から八幡神楽も学び取り入れて、現在の踊りになったとされる。楽器は太鼓、笛のほか手平鉦を用いる。

柏木平神楽

 遠野市宮守町下鱒沢

柏木平神楽

<公開場所>砥森神社(下鱒沢)境内
<公開期日>9月第2日曜日
 大迫の早池峰岳神楽の流れをくむ東和町田瀬の白土神楽から伝承された寸楽(神楽)。踊組は頭取・世話人・囃子方・踊手からなる。踊手は子供で、ジュバンに袴、片タスキ(紅白2本)という姿。囃子は太鼓(胴)・手平鉦・笛で、五拍子。

上宮守神楽

 遠野市宮守町上宮守

上宮守神楽

<公開場所>愛宕神社境内
<公開期日>8月24日
 伝承年代は未詳だが、遠野八幡神楽とは兄弟神楽といい、遠野南部山伏神楽を称する。明治時代中期に、宮守清という山伏行者により復興されたという。踊組は胴取・囃子方・踊手からなる。囃子は太鼓(胴)・手平鉦・笛で、テンポの速い三拍子。

鹿込神楽

 遠野市宮守町下宮守

鹿込神楽

<公開場所>砥森神社境内・民家の庭
<公開期日>9月15日・9月28~29日
 昭和初期に上宮守神楽から分かれ、同5年(1930)に江刺市梁川野手崎の早池峰山伏神楽胴取・上野養三郎を招いて修練を積み、成立。以後、多田孫吉が胴取となり、表六番と裏六番、および他の舞を習得した。踊組は胴取・囃子方・踊手からなる。

白石神楽

 遠野市宮守町下鱒沢

白石神楽

<公開場所>白石神社境内・民家の庭
<公開期日>9月15日
 昭和19年(1944)、現在の東和町から移ってきた、向田瀬神楽(大迫の早池峰大償系)の庭元阿部倉蔵らが始めた。踊組は頭取・世話人・囃子方・踊手からで、踊手は神楽(しんがく)が幼児から中学生を中心とする。七拍子でテンポが速いという。

舘大神楽

 遠野市宮守町達曽部

舘大神楽

<公開場所>達曽部八幡神社境内・民家の庭
<公開期日>9月15日
 八幡神社の神霊を、豊前国(現在の大分県)宇佐八幡宮を勧請した慶長13年(1608)当初から、今日まで供奉しているといわれる。踊組は世話人・囃子方・踊手で、踊手は獅子舞・おかめ踊り(子供)・舞っこがある。囃子は大太鼓・小太鼓・笛・手平鉦。

塚沢早池峰神楽

 遠野市宮守町下宮守

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<公開場所>塚沢神社境内
<公開期日>旧6月23日
 大迫の早池峰岳神楽の山伏神楽。寛政年間(1789~1801)頃から踊り継がれているという。昔から早池峰神楽を名乗り、明治41年(1908)の幕も向鶴の紋で早池峰神社とある。踊組は胴取、囃子方、踊手からなる。五拍子で、テンポがやや速い。

白山神楽

 遠野市宮守町上鱒沢

白山神楽

<公開場所>白山神社境内
<公開期日>9月3日
 昭和19年(1944)、現在の東和町から移ってきた、向田瀬神楽(大迫の早池峰大償系)の阿部精吾氏らが始めた。踊組は頭取、世話人、囃子方、踊手(小学生中心)からなる。囃子は太鼓(胴)、手平鉦、笛。七拍子でテンポが速いという。

鱒沢神楽

遠野市指定無形民俗文化財
 遠野市宮守町上鱒沢

鱒沢神楽

<公開場所>白山神社神楽殿
<公開期日>9月10日
 遠野市附馬牛町の大出早池峰神楽の流れをくみ、新道流神人派を称する。鱒沢への伝播時期は、約190年以前ともいわれる。踊組は胴取、囃子方、踊手からなる。囃子は太鼓(胴)、手平鉦、笛、およびシャモン(言立)の唱え手。踊手の扮装は演目や登場人物によって異なるが、仮面をつけ、烏帽子・鳥かぶと・ザイなどをかぶり、神舞は千早・脱垂れ・袴姿で、女舞は振袖姿が一般的。囃子方は紋付羽織袴。紋は南部家の定紋「剣光九曜紋」で、幕などにつけている。

米田神楽

 遠野市宮守町達曽部

米田神楽

<公開場所>達曽部八幡神社神楽殿
<公開期日>9月15日
 口承によると、古くても100年前ぐらいに下宮守塚沢の下栃大神楽から教わったものだという。踊組は世話人、囃子方、踊手からなる。囃子は大太鼓、小太鼓、笛、手平鉦。踊手は色ジュバンに前かけ、舞は陣羽織。獅子舞は2人立で、袴姿である。

迷岡神楽

 遠野市宮守町下鱒沢

迷岡神楽

<公開場所>迷岡駒形神社神楽殿
<公開期日>9月19日
 昭和初期、鹿込熊の洞から婿に来た多田竹次郎に伝授されて成立した。踊組は胴取・囃子方・踊手からなり、囃子は太鼓(胴)・手平鉦・笛、およびシャモン(言立)の唱え手。踊手は仮面をつけ、烏帽子・鳥かぶと・シャガマ(ザイ)等をかぶるのが一般的。

湯屋神楽

 遠野市宮守町達曽部

湯屋神楽

<公開場所>達曽部八幡神社神楽殿
<公開期日>9月15日
 大迫の早池峰大償系の山伏神楽。約150年前、大迫町稲荷町の法印市助を招き、習得したものだという。踊組は胴取、囃子方、踊手からなる。囃子は太鼓(胴)、手平鉦、笛、およびシャモン(言立)の唱え手。踊手は仮面をつけるのが一般的。

涌水神楽

 遠野市宮守町達曽部

涌水神楽

<公開場所>達曽部八幡神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>9月15日
 大迫の早池峰岳系の山伏神楽。昭和7年(1932)、大迫町外川目の合石から炭焼きに来ていた人に教わり、成立した。踊組は胴取、囃子方、踊手からなる。囃子は太鼓(胴)、手平鉦、笛、およびシャモン(言立)の唱え手。五拍子で、多少テンポが速い。

南部ばやし 田植踊 さんさ踊り等

暮坪田植踊 

遠野市上郷町佐比内

暮坪田植踊

<公開場所>熊野・八幡神社境内・民家の庭
<公開期日>9月14~15日・11月3日
 天保年間(1830~44)初期の大飢饉の時、集落の若者達が仙台地方に米搗に稼ぎに行き、古川で習い覚えてきたものだという。世話人2~3人、太夫6人、笛吹き4人、仲太鼓(早乙女)12人、唐団扇(がわ)20人、ふくべ10人ぐらいで構成される。

遠野郷南部田植踊

 遠野市綾織町上綾織

遠野郷南部田植踊

<公開場所>八幡神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>9月14~15日
 寛永年間(1624~1644)初め頃、宇夫方清左衛門が遠野南部家下郷代官だった時、楽しみながら農事を終えることを念願して導入されたのが、始まりだという。踊りの役割は旦那役、太夫、笛吹き、種ふくべ、仲太鼓(早乙女)、がわ(唐団扇)となっている。

平野原田植踊

 遠野市上郷町平野原

平野原田植踊

<公開場所>日出神社境内・上郷地区センター
<公開期日>不定期(6月第3日曜日)
 弘化年間(1844~48)頃、仙台黒川(現宮城県黒川郡)から兄弟が来て、兄は中澤(青笹村、飯豊、中妻、中澤)、弟は平野原(上郷村)で田植踊を教えたという。世話人、太夫、笛吹き、中太鼓、唐団扇持ち(側)、こ踊りで編成され、50人以上になる。

横田田植踊

 遠野市松崎町松崎

横田田植踊

<公開場所>八幡神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>9月14~15日・旧1月16日~2月9日
 鎌倉時代、阿曽沼氏が横田城を築いた際、その落成のお祝いに、1年の稲作作りを所作にして踊ったのが始まりだともいわれる。明治・大正の頃は、小正月に遠野町に門付けに出たという。昭和53年(1978)、古文書、古老の話をもとに復活、現在に至る。

鱒沢田植踊

 遠野市宮守町下鱒沢

鱒沢田植踊

<公開場所>仮設舞台
<公開期日>不定期
 庭田植の遠野系で明治35年(1902)頃、菊池カン吉により始められたという。踊組は世話人、囃方、踊手からなる。踊手は種フクベ、ササラスリ、仲立ち(早乙女)、ガワ(唐団扇)。ほかに旦那、道化役(納平・早助がいる。囃子は太鼓、笛、唄上げ。

中沢手踊り

 遠野市青笹町中沢

中沢手踊り

<公開期日>不定期(6月第1日曜日)

 大正時代頃から盛んだった中沢南部ばやしが、昭和10年代(1940前後)頃には徐々に行われなくなり、代わってさんさ踊りが行われるようになったという。当初は南部ばやしの演目の一つだったようだ。踊り手(約15人)に太鼓、笛などの囃子が加わる。

平野原さんさ踊り

 遠野市上郷町平野原

平野原さんさ踊り

<公開場所>神明神社境内・街路・集会所広場
<公開期日>8月14日
 昭和初期、上郷村内で踊られていたさんさ踊りが、やがて平野原集落にも伝わり、以後、青年達を中心に踊り継がれてきたという。平成元年(1989)に復活公演が行われ、平野原では田植踊とともに、地域を挙げて保存・伝承に取り組んでいる。

森ノ下さんさ踊り

 遠野市上郷町細越

森ノ下さんさ踊り

<公開場所>日出神社・慶雲寺境内・民家の庭
<公開期日>6月第3日曜日
 大正時代から昭和にかけて森ノ下に居住した、紫波町長岡出身の藤原米太郎が、若者達にさんさ踊りの手ほどきをしたことが始まりだという。踊り手は、花で飾った編み笠をかぶる。笛太鼓と踊りが完全に分離されていて、動きが大振りなのが特徴。

山口さんさ踊り

 遠野市土淵町山口

山口さんさ踊り

<公開場所>八幡神社境内・街路・民家の庭
<公開期日>9月14~15日
 大正時代初め頃、小国村(現川井村小国)から尻石磯吉という人が厚楽家へ婿入りし、その磯吉の兄嫁が、さんさ踊りを伝えたという。踊り手は大勢であれば何人でもよく、太鼓と笛の音に合わせて踊りながら丸く輪を作って入場し、輪になりながら踊る。

大川目参差踊り

 遠野市宮守町達曽部

大川目参差踊り

<公開場所>達曽部八幡神社境内・民家の庭
<公開期日>9月15日
 明治40年代(1910前後)頃、紫波町赤沢・乙部のさんさ踊りが伝わり、同じ達曽部の米田にあった製糸工場の職工がレクリエーションに教えたのが、広まったものだという。踊組は世話人、太鼓、笛、踊手からなる。踊手は子供で、色模様のジュバンを着る。

上宮守参差踊り

 遠野市宮守町上宮守

上宮守参差踊り

<公開場所>上宮守愛宕神社境内・民家の庭
<公開期日>8月24日
 達曽部の大川目参差踊りを師とし、そこから婿に来た照井(旧姓佐々木)和吉から教わって、昭和10年(1935)頃初演したという。踊組は世話人、太鼓、笛、踊手からなる。踊手(小中学生)は色模様の振袖を着て帯を結び、ボタンの花笠をかぶる。

下郷さんさ踊り

 遠野市宮守町下宮守

下郷さんさ踊り

<公開場所>砥森神社境内・民家の庭
<公開期日>9月28~29日
 現在の花巻市横志田に伝承されていた踊りが、東和町谷内を経て伝わったものだという。踊組は世話人、太鼓、笛、踊手からなる。踊手は色模様の振袖を着て帯を結び、丸に「さ」の字を染めた前掛けをしめ、花笠をかぶる。太鼓は踊りながら叩く。

綾織南部ばやし

 遠野市綾織町

綾織南部ばやし

<公開場所>駒形神社境内・綾織地区センター
<公開期日>9月9日
 昭和2年(1927)、遠野町の一日市南部ばやしを参考に伝えられたという。笛、太鼓、鼓、三味線の囃方が10人程度。踊り手は20~30人の女の子があたる。朱色・青・緑などの衣装に黄色の帯、房つきの前掛けをしめ、髪を結い、カンザシをつける。

小友南部ばやし

 遠野市小友町

小友南部ばやし

<公開場所>巌龍神社境内
<公開期日>8月最終日曜日
 昭和初期頃から伝承しているという。笛、太鼓、歌の囃方が10人程度で、花で飾りつけた山車に乗り演奏する。踊り手は20~30人の女の子があたる。長袖でそろいの朱色の衣装に黄色の帯、房つきの前掛けをしめ、髪を結い、カンザシをつける。

上組町南部ばやし

 遠野市上組町

上組町南部ばやし

<公開場所>八幡神社境内・街路
<公開期日>9月14~15日
 始まりは寛文初年(1661)とされる。金棒引き、舞子、三味線、笛、太鼓、小鼓などが出演する。衣装は元禄時代を模して優雅である。舞子は女の子があたり、長袖のそろいの着衣に繻子の帯、金糸銀糸などを施した房つきの豪奢な前掛けをしめる。

穀町南部ばやし

 遠野市東穀町

穀町南部ばやし

<公開場所>八幡神社境内・街路
<公開期日>9月14~15日
 始まりは寛文初年(1661)とされる。金棒引き、舞子、三味線、笛、太鼓、小鼓などが出演する。衣装は元禄時代を模して優雅である。舞子は女の子があたり、長袖のそろいの着衣に房つきの豪奢な前掛けをしめ、髪をゆい、カンザシをつける。

仲町南部ばやし

 遠野市中央通り

仲町南部ばやし

<公開場所>八幡神社境内・街路
<公開期日>9月14~15日
 始まりは寛文元年(1661)とされる。当初は山車ばやしだったが、江戸時代末期に歌舞伎役者の一作と政一郎によって歌や舞がつけられた。金棒引き、舞子、三味線、笛、太鼓、大鼓(大胴)、小鼓等、総勢80以上。金棒引きは就学前の子供があたる。

一日市南部ばやし

 遠野市中央通り

一日市南部ばやし

<公開場所>早池峰神社境内・街路
<公開期日>9月14~15日
 始まりは寛文初年(1661)とされる。金棒引き、舞子、三味線、笛、太鼓、大胴、小胴などがある。舞子は女の子があたり、長袖のそろいの着衣に繻子の帯、豪奢な前掛けをしめ、飾りのある小枝を持つ。

新町南部ばやし

 遠野市宮守町下宮守

新町南部ばやし

<公開場所>砥森神社境内・民家の庭
<公開期日>9月28~29日
 大正時代、遠野市中町の通称「キヨンケイサン」を招き、習得したものだという。踊組は世話人、囃子、舞子からなる。服装は元禄時代を模しているという。舞子は幼稚園児から女子小学生で、囃子の小太鼓・小鼓も高校生以下が中心になる。

暮坪虎舞

 遠野市上郷町佐比内

暮坪虎舞

<公開場所>八幡・熊野神社境内・民家の庭
<公開期日>9月14~15日・11月3日
 明治時代、上郷村暮坪の朝橋長松が日清戦争(1894~95)に出征した折、戦地の集落の虎舞を覚え、復員後、友人堀切留吉と共に改良を加えたという。踊り手は、虎をおびき寄せる「ささらすり」1人、「小踊連中」多数。「虎」2人1組、「ヤリ」1人。

氷口御祝

 遠野市小友町

氷口御祝

<公開期日>結婚式・新築祝・年祝・孫祝

 江戸時代末期から唄われているという、氷口地域の慶事には欠かせない祝い唄・儀式唄。男衆の謡曲と女衆のまかぎ節という、異なる二つの唄を大勢で同時に唄い、同時に終曲する。間合いの取り方や呼吸の合わせ方等に、細やかな神経を使うという。

鷹鳥屋甚句踊り

遠野市小友町

鷹鳥屋甚句踊り

<公開場所>八幡神社境内・街路
<公開期日>9月14~15日
 大正時代、江刺の後藤春治という師匠を招き、小黒沢集落の若者達が江刺甚句踊りの指導を受けたのが、始まりだという。その後、小松直一らが後輩に伝え、鷹鳥屋地区全体に普及した。祝踊りとして伝承され、囃子方は三味線・太鼓・手平鉦など。

遠野郷南部流鏑馬

遠野市指定無形民俗文化財
 遠野市東穀町

遠野郷南部流鏑馬

<公開場所>遠野郷八幡宮境内
<公開期日>9月第3日曜日
 建武新政(1333~36)の頃、陸奥に来て現在の八戸に根城を築いた
南部師行公(遠野南部家4代)が、土地の鎮守櫛八幡宮に流鏑馬を奉納したのが始まりだといわれる。遠野郷八幡宮に伝わる遷宮時の棟札には、寛文2年(1662)9月15日に流鏑馬の奉納が行われたことが記されている。3人の馬上の射手が、3箇所の的を射ることを、それぞれ3回行う。射手の後には3人の介添奉行が馬に乗り、的の前に来ると「よう射たりやー」と叫びながら走り抜ける。